「この林を真っ直ぐ突っ切ると○○駅だ。 ぐるっと迂回して車で送ってやってもいいがそれだと40分位かかっちまうんだ。」 「この道突っ切るとどの位で着けるの?」 「大人の足で10分くらいだからボウズなら15分位かな」 「なんだ!それ位なら僕大丈夫だよ!」 僕と兄さんは林にあるけもの道の前にトラックを止め話し込んでいた。 お兄さんの今日のお仕事は割と上手くいったらしくて、あれから何人かのお客さんに声をかけられた。 僕はその度に僕が出来る事を一生懸命お手伝いをした。 だけど仕事が盛況だったせいでこの場所に着くのが予定より遅れてしまったらしい。 「まぁ日が落ちるまではまだあるし、地元の人間が散歩道としてよく使ってる所だから危なかないだろうが… 町に着いてからママの家を一人で探せるか?」 お兄さんはぶっきらぼうな口調でそう言いながら僕の顔を覗き込んだ。 顔は相変わらず無愛想だったけど、瞳は心配そうに僕を見つめていた。 「大丈夫だよ!僕ママが書いてくれた住所のメモをちゃんと持ってきたもん! 電信柱のプレートを見ながら探せばきっと大丈夫! もし分かんなくなっちゃったら大人の人に聞けばいいんだし」 僕は精一杯『僕の考える強そうな顔』をしながらそう言った。 本当は少し不安だったけど、喧嘩の強いお兄ちゃんの前で『弱虫の子供』でいるのが嫌だったんだ。 だってお兄ちゃんは何度も僕の事を喧嘩の弱い『あいつ』さんに似てるって言ってたし。 会った事のない『あいつ』さんの事を結構好きになってたけれど、スーパーマンになりたい僕としてはお兄さんの方に似てるって言われたかった。 『あいつ』さんが大人になってプロレスラーとかになったんなら話は別だけどね! 「……そう言えば『あいつ』さんはその後どうなったの?」 僕はふとそう思いお兄さんに尋ねてみた。 するとお兄さんは頭を掻きながらきまり悪そうにぼそりとこう言った。 「ああ……施設を出た後に俺んとこ来て嫁になったよ」 え?お嫁さん!? 『あいつ』さんって女の人だったの!? 僕は物凄く驚いてしまった。 だってお兄さんの口ぶりからは男のコとしか思えなかったんだもん! それにそのコが女の人って事は……。 「酷いよお兄さん!!僕の事を女のコに似てるって言ってたの!?」 僕はぷりぷり怒ってお兄さんに抗議した。 お兄さんは困った様にあさっての方向を見ると、ぼそぼそと言葉を続けた。 「なんかな、お前の人の懐にするっと入ってきちまうところがよく似てんだよ。 別に喧嘩が弱いトコじゃなくてよ。」 お兄さんはお兄さんなりの言葉で僕の事をフォローしてくれた。 でも僕はやっぱり面白くなかった。 「お兄さんは喧嘩が強いかもしれないけど、みんながみんなお兄さんみたいにはなれないよ!特に女の人はね!」 お兄さんみたいに腕っぷしの強い男の人になりたいって気持ちを心の奥にぎゅっと押し込めて、僕はじろりとお兄さんを睨んだ。 そうしてから気が付いた。 さっきお兄さんと話してた時もそうだったけど、僕って結構イヤミを言うのが上手いのかもしれない。 こういう事が言えるのが大人になったって事なのかな? …うーん、違うかな? お兄さんは僕のその顔を見るとにやりと笑った。 その途端、気まり悪そうな表情はどこかに飛び散って元のお兄さんの顔が現れた。 「そんな事は分かってるよ。 誰もかれもが俺みたいになったらこの世は喧嘩王国になっちまうからな! だけど最近は全然喧嘩してねぇんだぜ?あいつの能天気なのが移ったのかもしれねぇな。 別に今だって鍛えてるし腕っぷしが鈍ったとは思わねぇが、くだらねぇ見栄や意地の為に喧嘩する気がなくなったんだよ。」 僕はまだ怒っていたけれど、お兄さんのその言葉に興味をひかれた。 強くなる為にとっても頑張って、そして今もその努力を続けてる意地っ張りなお兄さんがそんな風に言った事に。 「なんでそう思うようになったの?」 僕は素直にそう聞いてみた。 「…自分の為だけのくだらねぇ喧嘩をして大怪我でもしたら嫁さんとガキが泣くからな。 だから決めたんだよ。 俺が全力で拳を使う時は大事な人間が危険にさらされた時だけにしようって。 痛い目に遭わされて『そういうもんなんだ』なんて思うのは俺だけで充分だ。 …まぁそれでも喧嘩すりゃあいつはあーだこーだ言うだろうがこればっかはゆずれねぇな。 誰かを見返したり気を晴らしたりする為じゃなく、俺は大事なものを守る為に強い人間で在り続けてぇんだ。」 そう言い切ったお兄さんを僕はただ黙って見上げていた。 『カッコイイ!僕もそんな風になりたい!』 僕は凄くそう言いたかったけどその言葉をぐっと飲み黙っていた。 テレビ画面の向こうにいるヒーローに対して、はしゃぎながら言っている様な言葉をお兄さんの前で言いたくなかったんだ。 なんでだか言いたくなかった。 僕が言いたいのは…本当に心から思ってるのは単なる憧れの言葉なんかじゃない。 僕は目の前にあった切り株の上にぴょんと飛び乗った。 その上にのっても到底お兄さんの背丈には及ばなかったけど、お兄さんの瞳を見つめる事は出来たんだ。 お兄さんの目を真っ直ぐ見つめて代わりに僕はこう言った。 「僕もママの為なら頑張れると思う!だからお兄さんの気持ちは凄く分かるよ!」 魔法のマントをつけてても、どんなに頑張って飛び跳ねても、本当のスーパーマンにはまだ遠い事くらい僕だってわかってる。 お兄さん位に強くなるのだってまだ何年もかかると思う。 でも気持ちだけなら僕もお兄さんと同じだ。 きっと本物のスーパーマンにもね! お兄さんはにやりと笑うと僕の頭を軽く叩いた。 そしてお腹の底から出したような明るい声で言ってくれたんだ。 「それが分かるならボウズは『悪い大人』にゃならねぇよ!ママの家まで頑張ってたどり着け!ちゃんと応援しててやるからよ!」 「うん!」 僕は切り株の上から勢いよくジャンプしてお兄さんに力一杯お辞儀をした。 「送ってくれてありがとう!僕、絶対ママに会ってくるからね!」 「ああ!」 「じゃあ行ってきます!」 まるでパパやママに向かって言うみたいな声で挨拶をすると、そのままくるりとお兄さんに背を向けた。 そして林の中のけもの道を走りはじめた。 背後からお兄さんの「頑張れよ!」という声が聞こえたけれど僕は振りかえらずに前だけを見ていた。 ザッザッザ!。 少しだけ下り坂になっている僕は飛ぶように走っていた。 その細い道には所々木の根っこや、飛び出した小枝があって走るのを随分邪魔したけれど僕は全然平気だった。 ストラップを落とした坂道は綺麗に舗装されてのに僕は転んでしまった。 だけど何故かこのでこぼこ道では転ぶ気がしなかったんだ。 だって僕の家の近くには似たような林があって、小さな頃からそこでよく遊んでたから。 重なった葉っぱやコケの上は滑るから、人が踏み固めた黒土の部分に足を乗せて走ればいいんだ。 そうやってぐんぐん走り続けると喉が少し乾いた。 だけどもちろん水道なんてどこにも見当たらなくて、森の中の少し湿った空気を思い切り吸って僕はそれをごまかした。 もうちょっとだ。 もうちょっとだ。 もうちょっとでママの居る街に着くんだ! 嬉しくてドキドキする。 そんなはずないのにママの腕が僕の体を抱きしめてくれてる様な気がして体中が温かかった。 細かったけもの道が少し広くなって緩やかなカーブを曲がると突然視界が開けた。 林を抜けたんだ! 目の前に広がっていたのはなんて事のない住宅街だった。 でも僕にはそれがとても特別な景色に見えたんだ! そういえば昔ママが読んでくれた絵本の中でもそんな気持ちが書かれてたっけ。 『その街に大切な人が住んでいるなら、その街明かりは特別きれいに見えるだろう』って。 だってその沢山の光の下のどこかに大好きな人がいるんだもん! 僕はその場で飛び跳ねたいような気持ちになりながら、電信柱についている住所のプレートを探した。 「○○区の3丁目の6番地…えっとママのアパートは1丁目だから…」 背伸びをしながらプレートを見上げていると足元から唸り声が聞こえた。 そして僕が足元に目をやった途端、小さな犬がきゃんきゃんと吠え立てた。 「こら!ダメでしょ!!」 そして直ぐに飼い主のお姉さんの叱り声が聞こえ、小さな犬はくぅんと甘ったれる様に鳴いた。 「ああ、びっくりしたぁ」 「ごめんなさいね。その電信柱はいつもこのコがおしっこする所だから」 「そ、そうなの!?」 おしっこって! とっさに後ずさるとお姉さんはコロコロと笑いもう一度僕に謝った。 犬にはちょっぴりびっくりさせられたけど、そのお姉さんの笑顔がとても優し気だったから僕は思い切って道を尋ねてみた。 お姉さんはママの住所が書いてあるメモを見つめると、身振り手振りを加えながら丁寧に道を教えてくれたんだ。 「このままずっと真っ直ぐ行って二つ目の角を曲がればいいんだね?」 「ええ、10分も行けばつけると思うわよ」 僕はお姉さんにお礼を言って再び走りはじめた。 あんなに青かった空が今はオレンジとピンクの混じった不思議な、でもとても綺麗な色に染まっていた。 そしてその空の向こうには飴玉みたいな金色の太陽が沈みかけている。 急がなくちゃ!もうすぐ暗くなっちゃう! アパートを見つけるには少しでも明るいうちの方がいいに決まってる。 二つ目の角を曲がると僕の心臓は音が聞こえるくらいドキドキし始めた。 もしかしてばったりママに会えるかもしれない。 そしたらどんな顔をするだろう?こんな遠くまで僕が一人で来たって知ったら。 もしかして驚いて泣いちゃうかもしれない! そんな想像をしながら走っていると砂場とベンチだけの小さな公園を見つけた。 その入り口には公園の名前が書いてあって、その下に住所をしめす小さなプレートが張り付いていた。 一丁目2番地…ここだ! 僕はきょろきょろと辺りを見回した。 すると公園から少し奥まった所にこじんまりとしたアパートが見えた。 あれがママの住んでるアパートだ! 僕は急いで駆け寄り4号室のドアを探した。 そこにママが居るんだ。 その部屋はすぐに見つかり僕は一回深呼吸をした。 そして誇らしい気持ちで一杯になりながらチャイムを押した。 ピンポーン くぐもった音が辺りに響いた。 暫く待ってみたけれど何の返答もない。 僕は続けて2度チャイムを押した。 でもやっぱりドアは開かなかった。 まさか、この部屋にママはいないの!? だってこの部屋の表札には誰の名前も書かれてないんだもん! 僕は酷く不安になってママの書いてくれたメモをもう一度よく見直した。 でもちゃんとこの住所であっている。 そうだ!ここにママが住んでいるか確かめられるかも! 僕は急いでアパートの裏側に回り、ママが住んでるはずの部屋のガラス窓を覗き込んだ。 もう随分辺りは暗くなっていて、電気のついていない部屋の様子を見るのに苦労したけれど僕はぐっと目を凝らした。 するとだんだん目がなれて中の様子が分かってきた。 部屋の中はやけにガランとしていてテーブルと座布団以外何もない。 これじゃここがママの部屋かどうか分からないよ! 僕が途方に暮れたその時、強い光が部屋の奥にかかっていた洋服を一瞬照らしだした。 今の洋服はママが気に入ってた花柄のブラウスだ! やっぱりここはママの居る部屋なんだ! アパートの横の道を走っていた車のヘッドライトのおかげで思いがけずそれが分かり、次の瞬間には頭の中を一杯にしていた不安の煙がしゅるしゅると僕の中から出て行った。 多分ママは買い物に行ったんだ。 夕方になると食べ物の割引が始まるからママはいつもこれ位の時間にスーパーに行くんだもん! って事はここで待っていれば必ずママに会えるって事だよね? ぐぅ。 安心した途端お腹が大きく鳴った。 そう言えば朝ご飯を食べたきりだ。 お腹が空くのは当たり前だよね。 …だけど大丈夫! だってコンビニで買ったチョコバーを僕はまだ一本も食べてないんだから。 僕はポシェットからチョコバーを全部取り出して石畳の上に一本づつ並べた。 それから一番好きな味のチョコバーを手に取ってビニール袋を破るとそのままがぶりとかじりついた。 口の中に広がる甘いチョコの味。 それはホントにホントに美味しくって僕は幸せな気持ちで一杯になった。 けれど同時に喉がとっても渇いてる事を思い出した。 そう言えばアパートの前の公園に水道があったっけ。 僕はチョコバーを石畳の上に置いたまま公園まで走って行った。 そしてたっぷり水を飲んで帰って来ると部屋の前に人影がある事に気が付いた。 あれはもしかして……。 ママ? そうだママだ!! 僕は勢いよくママに向かって走り出した。 2012/10/03 |