ここは趣味のページです。
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この物語はフィクションです。
実際の人物、または団体とは一切関係がありません。



僕は日曜日が大嫌いだ。
日曜日が無くなるなら僕はなんでもすると思う。
うん。きっとなんでもするさ。
大嫌いなピーマンを10個まるごと食べるのも、熱いお風呂に肩まで浸かって100まで数えるのもへっちゃらだ。
日曜日が無くなるなら僕はなんだってするよ!
本当だよ!
だから神様、日曜日をこの世界から無くしてください。

月曜日の朝にはクラスの友達が昨日の話をする。
楽しかった日曜日の話だ。
僕の行きたい遊園地の話や、美味しいバーベキューの話。
パパとママがどんな風に遊んでくれたかの話。
楽しそうに、自慢げに、大げさな身振り手振りで大きな声で。
それを聞いてる他の友達はそのコに負けないくらい大きな声で次の日曜日の予定を話し出す。
どれほど次の日曜日を楽しみにしてるかを。
僕はいつもそんな会話を黙って聞いていた。
何も言わずたまにうなづいて。
みんながどれほど日
曜日がステキかをしゃべっていても、僕はいつも反対の事を考えていた。
日曜日が好きになる事なんて僕には一生ないだろうって。

日曜日。
いつもとは違う台所。
いつもは僕が起きてきた頃にはパパはいない。
ママもパートに出る為の支度で僕とあまり話をしない。
大事な事は大抵メモ用紙に書いて冷蔵庫に貼り付けてある。
僕はテーブルに置いてある食パンを焼いて、冷蔵庫にある牛乳を飲んで学校に出かける。
でも日曜日は違うんだ。
パンとスープとサラダと、あとは目玉焼きやソーセージ…いつもより沢山の朝ごはんが並んでる。
僕は黙ってそれを食べる。
黙って新聞を読んでいるパパと黙って台所仕事をしているママの間で。

でも静かな時間が持つのはせいぜい午後までで、そのうち必ず喧嘩が始まる。
はじめのうちは僕は知らん顔で遊んでいる。
ううん、嘘だ。

遊んでるフリをしているだけだ。いつも心はどきどきしていて、二人の喧嘩をじっと聞いている。
そのうち何かが壊れる音がしはじめる。
その音が聞こえると僕は立ち上がる。何も言わずに玄関に向かいできるだけゆっくり靴を履く。
靴を履いている間にパパとママが仲直りしてくれないかな、と願いながら。
でも大抵その願いは叶わずに僕は怒鳴り声を後にしながら家を出る。
そして近くの公園で近所の友達を見つけ遅くまで遊んでる。
でも遊んでいる最中もずっと心臓はどきどきしているんだ。
もしかして、僕がここで遊んでいる、たった今、家の中では取り返しのつかない事が起こってるんじゃないかと心配だったから。
空が暗くなるまで遊んで、僕は家に帰る。

これから家に帰ると思うといつもぎゅーと胸が苦しくなった。でも足はどんどん前に進む。
どんどんどんどん、しまいには駆け足になっていく。
家の中がどうなっているのか少しでも早く知りたくて。
玄関の前で怒鳴り声が聞こえないと少しだけ安心する。縮んで硬くなった心臓がちょっぴり柔らかさを取り戻す。
玄関を開けると大概ママが台所のイスに腰をかけている。パパはいない。きっと外に飲みに行ったんだろう。
つかれきった顔のママを夜まで慰めるのが僕の役目だ。

日曜日は嫌いだ。
一番嫌いなのは雨の日曜日だ。
雨の日曜日は何かが壊れる音がしても僕は出かけられない。出かける場所がどこにもないから。
だから僕は押入れに隠れる。布団と壁の隙間に体をねじ込みながらできるだけ楽しい事を考える。
そう、例えばクラスのコが話してた遊園地に行く自分の姿や、バーベキューの美味しい肉をほおばる姿を。
ゆっくり、丁寧に、出来るだけ細かく想像する。
でも細かいところまで考えれば考えるほどなんかうそ臭くなっていくんだ。
遊園地までどうやって一人で行くんだろうとか、バーベキューなんて子供一人でできるのかな?とか。
だから楽しい想像はいつも途中で終わっちゃうんだ。

雨なんて大嫌い。僕はどこにもいけない。ここではないどこかに行きたいのに僕は行けない。

どうせどこにもいけないなら嵐みたいにもっと大雨になればいいのに。
そうすれば少なくともパパとママの喧嘩している声が近所の人に聞こえない。
怒鳴り声に気付かれずにすめば僕のうちで喧嘩なんてして無い事になるんだから。
パパとテレビゲームをして、それをママが笑ってみてる。
そんな家だと誰かが思ってくれるかもしれないでしょ?

ある日ママが違う場所で暮らすことになった。
それから日曜日はとても静かになった。
なのに僕は前よりずっとここではないどこかに行きたくなった。
公園も、近所の原っぱも、駅前のゲームセンターも何度も行ったけれど違う気がした。
僕はどこに行きたいんだろう?
いっぱい考えて漸く思いついた。
ママはいつも僕に言ってくれたんだ。僕がママを慰めていると必ず優しく頭を撫でて「あなたがいてくれて良かった」って。
だから僕はママを慰めるのが別に嫌じゃなかった。ううん、好きだった。
僕がここに居てもいい様な気がしたから。
そっか、そうだ!僕はママのところに行きたいんだ。

僕はママの所に行く計画を立て始めた。パパに気付かれないようにひっそりと。
ママの住んでるアパートはここから9駅だ。電車に乗れば30分位で行ける。
でも僕はまだ7歳だし、一人で電車に乗ったらきっと駅員さんに色々聞かれるに決まってる。
もしちゃんと答えられなかったら警察に連れてかれちゃうかもしれない。
ここはちゃんと考えなくちゃ!
……そういえば一年生の時、遠足で隣の駅の大きな公園までみんなで歩いて行ったんだ。
ゆっくり歩いて40分位だった。走っていけばきっと20分位で行けると思う。
えーと、一駅20分なら9駅だと…20×9は…うん!走っていけば3時間くらいでママの所に着くはずだ!
僕はかけっこが凄く得意なんだ。前の運動会でもクラスで2位になった位だもん。
電車を使わなければ誰にも何も聞かれないですむし、線路沿いに走れば迷子にもならない。
うん、そうしよう!

…でも…三時間も走ったらお腹がすいちゃうかも。
僕はそこまで考えると急いで貯金箱をベットの下から取り出した。
そしてがしゃがしゃ振ってお金を取り出す。出てきたお金は520円。お年玉の残りだ。
これでおにぎりとジュースを買えば大丈夫!
僕はお金をポケットに入れて家を飛び出した。

僕は一番近くのコンビニでおにぎりを買う事に決めていた。
ここではよくパパと一緒にお昼ごはんを買うし、一人で買い物に来ても変に思われたりはしないから。
おにぎりの置いてある場所に行こうとした時きらりと光るものが見えた。
なんだろうと近寄るとそれはビーズで作った携帯ストラップだった。
吸い寄せられるようにそれを手に取る。
きらきらきらきら。
蛍光灯の光を反射していてとてもきれい。
僕はなんだかママがよくしていたイヤリングを思い出した。とてもきれいでママによく似合っていたイヤリング。
ある時片方を無くしてしまって僕はママと一緒に部屋の隅々までそのイヤリングをさがした。
でも結局見つからなくてママはとてもがっかりしていた。
何度も「高かったのに」と言って…僕はなんでだかイヤリングを見つけられない自分が悪いような気がして悲しくなった。

ママが悲しい顔をしていると僕は悲しい。
ママが嬉しい顔をしていると僕は嬉しい。

突然、

僕の心臓はどきどきし始めた。
もし…
僕がママの所に行って、ママが「よく来たわね」と笑ってくれなかったらどうしよう。
もしママの都合が悪くて僕が行くのが迷惑だったらどうしよう。

困った顔をしたママの顔を想像した途端、僕は目の奥がぐぐっと熱くなった。

どうしたらママはそんな顔をしないで僕を迎えてくれるのかな?
迷惑だと思われない為にはどうしたらいいんだろう?
ママが喜んでいたのはどんな時だったろう?
そういえばパパが酔っ払って帰ってくるといつも喧嘩になった。けどたまにならないときもあったんだ。
パパが気まぐれにママにお土産を買ってきた時だ。

そうだ!ママの喜ぶお土産を買っていけばきっと大丈夫だ。
きっとママは僕がパパに黙って来たこと怒ったりしないはずだ。
もしかしたら僕の事を褒めてくれるかもしれない!

その思いつきに僕はとても嬉しくなった。
ママの事ならなんだって僕はよく覚えているんだ。
ママの喜ぶもの、あのイヤリングに少し似ているこのストラップ。
うん、これをお土産にしよう!
僕はそのストラップの値段を急
いで見た。

450円。

これを買ったらおにぎりは買えなくなっちゃう。
ジュースも駄目だ。けど走ってたらきっと喉が渇いちゃう…どうしたらいいんだろう。

でも…
でも…

いいや、おにぎりなんて!
残りのお金でチョコバーを買えばいいんだもん。
僕チョコバーの方がずっと好きだし。
喉が渇いたら近くの公園でお水を飲めばいいんだから。

僕はストラップをぎゅっと握りしめてレジに向かった。



ぜいぜいぜい。
まだ15分位しか走っていないのに耳の奥で僕の吐き出す息の音が鳴り響く。
走れば一駅20分。そう考えていたのはちょっと甘かったみたいだ。線路沿いに走っているのにまだ次の駅の影すら見えない。
やっぱり電車に乗った方がいいのかもとちらりと考え急いで首を振る。
まだお昼前だ。少しくらい歩いても夕方にはママの所にはつけるはずだ。

僕は大きく深呼吸してゆっくり歩き始めた。
ほんのちょっぴりそうやって歩く事が悪いことの様な気がして、それを誤魔化すように空を見上げた。
真っ青で白い雲がぽっかり浮かんだ広い空。

僕はなんでだか嬉しくなった。
こういう空を見ると不思議なくらい僕は嬉しくなる。なんでだろう?
雨の日が嫌いだからかな?こんな空のときは必ず夕方まで遊べるもんね。
そう考えたけれど少し違う気がした。
なんでだろう?
なんでだろう?
空を見上げながら歩いていると少しお腹のすいている事に気付いた。
でもまだチョコバーを食べるには早すぎる。3本しかないチョコバーを一つ目の駅に着くまでに食べちゃったら残りが大変だもん。
そう思いながらポシェットにしまったチョコバーを数えていると不意に僕は思いつた。
僕がこういう空を好きな理由に。
こういう空は一年生のときに見た運動会の空に似てるんだ!

一年生のときの運動会にママは僕にお弁当を作ってくれた。
お日様色の甘くて美味しい入り卵とちょっぴりしょっぱくて優しい味がした鳥そぼろ。
そして隅っこにはきれいな色のブロッコリーとプチトマト。
本当にすっごく美味しかった。僕が食べたご飯の中であのお弁当が一番美味しかったと思う。
うん、一番美味しかった。僕はあのお弁当が一番好きだ。

ママはパートで忙しいから4月の遠足の時のお弁当はコンビニで買ったおにぎりとジュースだった。
お昼ごはんの時間になって、お弁当をみんなで輪になって食べる時…僕はこっそりその輪から抜け出した。
なんだか妙に恥ずかしい気がして近くの木陰で急いでジュースでおにぎりを流し込んだ。
そしてみんながぱらぱらとその輪から抜けて遊び始め
た頃、そのコ達に混じって一緒に遊んだ。
出来るだけ楽しそうに、ボールをがんばって追いかけて一生懸命遊んだ。

いつもは楽しいドッチボールがあんまり楽しくなかった事をよく覚えている。

でも、
運動会の時は遠足の時と全然違ったんだ!

僕は一番運動が得意なコのグループに入れてもらって堂々とお弁当を広げてそれを食べた。
本当は凄く美味しかったけど、甘い入り卵に大声で文句を言いながら。
そしてお昼の後のかけっこの時間。
ママはパートでみんなのパパとママみたいに応援に来れなかったけど、僕は全然平気だった。
クラスの何人かは「ママ(パパ)が来ていない」とか「ビデオを撮ってない」とか文句を言ってたけど、そんな事言うのは幼稚だと思う。
僕はそんな事少しも気にしない。
だって、お腹の中にある美味しかったお弁当がママの応援の声の様な気がしたから。
僕はそれを感じながら走ったんだ。そして二位になった!
本当は一位になれたかもしれなかったけど、一位の奴はクラスで一番体が大きかったから腕の長さの分仕方が無かったんだ。
お弁当を一緒に食べたグループのコに「凄いね」って云われて僕はとっても嬉しかった。
閉会式が終わるまでホントに楽しくて、遠足のドッジボールの時の時間と全然違う気持ちだった。

多分、あんなに楽しかったのはママの作ったお弁当が美味しかったせいだと思う。

もしかしたら、僕がお土産を持ってママに会いに行ったらあのお弁当と同じご飯をまた作ってくれるかな?
うん、ママは優しいから僕が食べたいって言えばきっと作ってくれる!


ママが笑って僕の大好きなご飯を作ってくれる想像をしたら、僕はワクワクしていてもたってもいられない気持ちになった。
そして僕はまた勢いよく走り始めた。


「うわ、凄い長い坂道」

その長い下りの坂道を見下ろし、僕は思わずそうつぶやいた。
こんな坂道駆けていったら転んじゃうかもしれない。
そんな想像をしたらちょっぴり怖くなって踏み出しかけた足を引っ込めた。
だってこんな所で転んで先にいけなくなったら大変だもん。
ここはやっぱりゆっくり歩いて行った方がいいかも…。

でもここを一気に走り抜ければさっき歩いた分の時間を取り戻せるかもしれない。

僕はどっちにしようかと考えながら俯いた。
俯いた視線の先には黒い僕の影。
何か別の生き物みたいな形をしたそれがふいに僕に話しかけた。

『ママが待ってるんでしょ?走っていっても大丈夫!早くポケットのお土産を渡さなくちゃ!』

足元の小さな影が僕を励ましてくれたんだ。

そうだ。
僕はこれをママに渡して喜んで貰うんだ。その為に買ったんだもの。
大切にしまいこんだポシェットからそのストラップを取り出し、手のひらで転がした。
うん、やっぱりきらきらしててとってもきれい。
これを早くママに渡したいんだ。大丈夫だ!僕は転んだりしない。僕はかけっこが得意なんだから!
それにきっとママが転ばないように守ってくれる。
美味しいお弁当で僕を2位にしてくれたように。
手の中のストラップが上手に走る切る事を約束してくれた様な気がして、僕は足を踏み出した。

会いに行くんだ。僕は少しでも早くママに会いたいんだ。


駆けてゆく。
駆けてゆく。
駆けてゆく。

体中に風を受け、その風を次の瞬間には置き去りにして僕の足は先へ先へと駆けてゆく。
きもちいい!自分のものじゃないみたいに足が勝手に動く!
運動会のときよりずっと早いよ!まるで体全部が紙飛行機になったみたい!

凄いスピードで僕の足は先へ進む。
僕の体を全く無視して。
足だけが勝手に駆けて行く。

でも…。
駄目だよ。足ばっかりそんなに先に行こうとしちゃ…!僕の体が追いつかないよ!

そう思った瞬間、僕の体は宙に浮いた。
そしてその次の瞬間には体が地面に叩きつけられた。

「い…たい」

痛い。体の全部が痛い。とりわけ膝が熱いくらいに痛い。
僕は転んだの?
ううん。そんなはず無い。だってママが守ってくれてるはずだから。ストラップは僕がちゃんと走りきる為のお守りなんだから。
僕は手の中にあるはずのストラップを握り締めようとした。
そして気付く。手の中にあるはずのそれが無いって事に。

落とした!?


僕は何も持たない手のひらを見つめた。
一瞬前までは握ってた。僕の手の中にあったんだ。なのになんで…!?
僕は地べたに張り付いた体を無理やり引き剥がした。体中が酷く痛んだけれどそんなのは関係なかった。
ただ僕は見つけたかった。あのストラップを。
ママのイヤリングは見つけることが出来なかったけど、あのストラップは絶対見つけなきゃならない。
だってあれが無くちゃ…。あれが無くちゃ…。

会いに行っても、ママはきっと本当には喜ばない。ママは僕の気持ちを考えて喜んだフリをするだけだ。
僕がドッチボールで楽しいフリをしたみたいに。

僕の体の奥底からじわじわと苦しい何かが湧き上がり、喉の奥を締め付けた。
そしてその何かは運動会の夜の記憶を一緒に連れてきた。

あの日の夜、僕はママがパートから帰って来るのをワクワクしながら待っていた。
汚れた体操着を着替えずに「2位」の銀色に光るバッジを胸にさして。
ママに自慢したかったんだ。
僕って凄いでしょ?って。
ママにありがとうって言いたかったんだ。
あの美味しいお弁当のおかげだったんだって。
ママに褒めてもらいたかったんだ。
偉いわねって。

僕は、ママに、喜んでもらいたかったんだ。

ママが帰ってくると僕は直ぐに運動会の話をした。どんなに僕が早く走ったか、どんなに僕がクラスの子に尊敬されたかを。
ママはとても嬉しそうな顔をして僕をぎゅっと抱きしめてくれた。
そして云ったんだ。

「もう少し頑張れば一位になれたかもしれないわね」って。

その時分かった。
ママは本当は一位になって欲しかったんだ。一位になれば「偉いわね」って云ってくれたはずなんだ。
イヤリングを探していた時もそうだ。僕が見つけられたらがっかりなんてしなかったはずなんだ。
もし見つけられたら僕のおかげだって云ってくれたはずなんだ。
だから…僕は絶対にストラップを見つけけなきゃならない。
僕はママにそれを渡さなきゃならない。
僕の事を本当に好きだって思ってもらう為に。


僕は片足を引きずりながら転んだ周辺の道を歩き回った。
ビーズの飾りがいっぱいついていたストラップだし、坂の下まで転がっていくはずはない。
きっとどこかで引っかかって止まるはずだ。

でも、道路の隅々まで探してもあの綺麗な光は見つからなかった。
どこ?
一体どこにあるの?
さっきまではちゃんと握ってたはずなんだ。

僕は途方にくれ青い空に目をやった。
神様、教えて。とても大事なものなんだ。僕がママにあげられるたったひとつのものなんだ。だから僕の手の中に戻して。
もちろんいくらそんな所を見つめても、あのストラップが空から落ちてくるなんて事はなかった。
雲の輪郭がふいに滲んだ。鼻の奥がつんと苦しくなる。涙が出そうになった。
でもこんな所で泣いたら何かに負ける気がして、僕は空をにらみ返して視線をもう一度道路に移した。
その時きらりと光る何かが視界の隅に入った。
ストラップだ!
あのストラップがガードレールの向こうにある木の枝にひっかかってる!
ありがとう神様!僕のお願いを聞いてくれて!

僕は急いでガードレールまで駆け寄った。
ガードレールの下はこの坂道とは比べ物にならないほどの急な崖だった。その崖にぽつりぽつりと背の低い木が生えている。
その木の中の一つ、一番道路側に近い木の枝にそれはひっかかっていた。
あそこなら手を伸ばせば僕の背丈でも取れるハズだ。

僕はガードレールをよじ登り、崖のぎりぎりの所に立って手を伸ばした。
けれど枝は道路から見ていた時よりもずっと遠くてストラップには手が届かない。
でもこれ以上手を伸ばしたらこの急な崖を転げ落ちちゃう。こんな所から落ちたら死んじゃうかもしれない。
僕は暫く考えてから着ているシャツを脱いだ。そして袖をガードレールの柱にぎゅっと結びつける。
何度かひっぱり、シャツの袖が硬く結ばれている事を確認してシャツのはしっこを握り締めた。

これを命綱がわりにすればちゃんと手が届くはずだ。
僕って頭がいい!前に見たアニメでこんな場面があったのを思い出したんだ。
なんだか自分がそのアニメの主人公になった気がして嬉しくなった。
その気持ちに後押しされておもいっきり手を伸ばす。

うん。届きそうだ!
指の先にストラップの端が触れる。
もうちょと、もうちょっとだ。
もうちょっとで届くんだ。
もうちょっとでママにあげるプレゼントに手が届くんだ。
もうちょっとでママが喜ぶ顔が見れるんだ。
もしかしたら…。
もし本当に喜んで、僕の事を好きだって思ってくれればママがうちに帰ってくるかもしれないんだ!

ママが家に帰ってくればもう一度あの日みたいな気持ちになれるかもしれねい。

僕は日曜日が嫌いだ。
本当に本当に大嫌いだ。
でも、一度だけだけど大好きだった日曜日があるんだ。
何度も思い出した楽しかった日曜日。

その日と同じような気持ちにもう一度なりたいんだ。

その日、パパとママと僕は新しく出来たスーパーに自動車で買い物に行った。
珍しくパパもママも喧嘩をせずに、大きなカートを押しながら色々な食べ物を籠の中に放り込んだ。

「今日の夕飯はみんなで鍋にしましょうよ」
明るい声でママはパパにそう云った。

「そうだな」
とパパも笑って云った。

「じゃあお肉をいっぱい買おう!」
元気な声をだして僕が云った。

僕のその大きな声にパパとママはびっくりしておかしそうに笑った。
僕も一緒に笑ったけれど、心の奥では「きっとママと二人でお鍋を食べる事になるんだろうな」って思ってた。
家に帰り着くまでにいつもの喧嘩が始まってパパは外に出て行ってしまうと思ったから。

沢山の買い物をして僕達は自動車に乗り込んだ。
来た道を走っていると途中で渋滞にはまってしまった。
短気なパパは5分もするとイライラしはじめ前にいる車に文句を言い始めた。
パパがこんな風になるときは要注意だ。あと何分かするとママと言い合いになるんだもん。
僕はこんな狭い車の中で喧嘩をされたくなくて細い横道を指さした。

「パパ、あっちの道から行こうよ」

僕が出来るだけ無邪気な声を出してそう言うと、パパは眉間のしわを少し緩めて「そうだな」と云ってハンドルを切った。
ずんずんと、いつもは通らない細い道を車は走る。
人や自転車の多い住宅街を抜けた途端、視界が光であふれかえった。
川だ!
西日が揺れる水面に反射して、そこから生まれる光が車の中で乱反射した。

「まぶしいな」

パパは舌打ちをして目を細めたけれど、僕はパパのそんな態度に気付かないふりをして
「綺麗だよ!僕ここで降りたい!もっと川を見たい」
と叫んだ。

僕は普段、滅多にわがままを言わない。
僕はパパやママにあまり自分がしたいことを言わない。

いつもパパやママの機嫌を慎重に確かめてから、一番必要だと思うことしか言わない。
だから本当に欲しかったおもちゃを買ってもらうことはなかったし、(ママが喜びそうな本を誕生日に買ってもらったことはあるけど)
遊園地にもバーベキューにも連れてってとせがむ事はなかった。
でもその時は、パパの不機嫌な態度を無視してそう叫んでしまったんだ。

口にしてからすぐに「しまった」と思ったけれど、パパは予想外に機嫌のいい声を出してこう言ってくれた。

「そうか、じゃあ車を止めて少し散歩でもするか」
って。

僕はとても嬉しくなって、でもママの反応が凄く気になって、ママの顔をちらりと盗み見た。
視線があうとママもにっこりした笑顔を浮かべた。そして僕の提案に頷いてくれた。

それから僕達は3人で手を繋ぎながら川原の土手を歩いた。
右手にはパパの手のひら、左手にはママの手のひら。
僕は嬉しかった。
凄く凄く嬉しかった。
胸の奥がぽかぽかして、はしゃぎながらどうでもいい事をいちいち口にした。
いつもは必要な事しかしか言わなかったけど、その時はどんな事を言ってもいい様な気がしたんだ。
パパとママは僕のその言葉にいちいち返事を返してくれた。

そうやって川からの光を浴びながら歩いていると、パパがいきなり僕の手をひっぱった。

「おい、ソリ遊びしよう」

パパは土手に落ちていた汚いダンボールを片手にそう言った。
そしてダンボールの上に座ると
「パパの背中に捕まって座れ」と促した。
パパが何をする気なのかとちょっぴり不安になりながらも、僕はパパの言うとうりにダンボールに座りぎゅっとパパの背をつかんだ。

「よしいくぞ!」

パパが掛け声を駆けた瞬間、ダンボールのソリは土手の坂道を勢いよく滑り始めた。

凄い!
パパの車よりも遊園地のジェトコースターよりもずっと速くて気持ちいい!
本当はそんなはずないんだけど、頬に受ける風とお尻に感じる振動といつ転ぶか分からない不安感が僕にそう感じさせた。
でも不安と同じくらいの分量でパパの背中につかまっていると安心した。そしてその気持ちが自然と僕に明るい笑い声を出させた。

あ!

突然世界がひっくりかえった。お腹から沸いて出た声が悲鳴に変わる。
ダンボールのソリがひっくりかえって僕とパパが地面に投げ出された。
その様子を見てママが叫びながら土手を降りてくるのが見えた。
僕は体を少し打ち付けたけれど、痛みよりその自分の状態がとてもおかしく思えてお腹の底から笑った。
その笑い声に触発されたかのようにパパも笑った。そして僕らの側にかけつけてきたママも。
何故だか分からないけれど僕達は3人で暫く笑
い転げた。

そしてパパは「もう一度チャレンジだ!」と言って僕の体とダンボールを抱えて土手を登りはじめた。
はしゃぐ僕らをママは嬉しそうにずっと眺めていた。
僕とパパとママは日が暮れるまで川原で遊んで、そのあと家に帰って皆でお鍋を食べた。
ママと二人きりでお鍋を食べるに違い無いという僕の予想は見事に外れてとっても楽しい夕食だった。

あの日が、僕の一番好きな日曜日だ。
クラスのコの誰にも自慢できないような日曜日だけど、僕はあの日が大好きで、あれから何度も夢に見た。

100回の大嫌いな日曜日。
1000回の大嫌いな日曜日。

でもたった一度の大好きな日曜日が心のどこかでいつも僕を呼んでいる。
そしてその大好きな日曜日はパパとママが居なくちゃ絶対にやってこないんだ。

だからママに帰ってきて欲しい。
ママが帰ってくるには僕の事を好きだと思ってもらわなくちゃならない。
ママが僕を本当に好きだと思ってくれる為にはこのこのストラップを渡さなきゃならない。
だから僕は目の前できらきら光るこのストラップを絶対に手に入れなきゃならないんだ、

僕は勇気を出して地面から片足を離し、勢いよくストラップに向かって背伸びした。

掴んだ!

その瞬間、確かに僕はストラップを手にした。けれど次の瞬間にはしなった枝が思い切り僕の手の甲を叩いた。
あまりの痛さに握り締めていた手が開く。
そして僕の目の前でストラップはきらきら光りながら崖の下に吸い込まれていった。

それを無くしたらママが帰ってこなくなっちゃう!

僕はストラップに手を伸ばし体を前に倒そうとした。
けれど、体勢を変えた途端に踏ん張っていた片足の力が抜け体が宙に浮き上がった。
落ちる!そう感じ目を閉じると苦しいくらいに首が締まった。
襟首が崖の下と反対方向にひっぱられ、宙に浮いた僕の体はそのまま勢いよく投げ出された。

「い、痛たた」

さっきの痛みほどじゃないけれど体が痛い。打ち付けたお尻がじんじんしてる。
あれ?でもここは道路だ。崖の下じゃない。

「ボウズやんちゃも大概にしろ」

頭の上から声がふってきた。僕はその声の方向を見上げた。

も、もじゃもじゃだぁ!

そこにはカーキ色のコートと幅の広い帽子をかぶって、ひび割れたメガネをかけた顔じゅうひげだらけのおじさんがいた。
ちょっぴり怪しいそのおじさんは低くて平坦な声で言葉を続けた。

「あのまま坂を転げ落ちてたら大変な事になってたぞ。お前はお父さんやお母さんを泣かせたいのか」

ヒゲのおじさんの言葉に僕はびっくりしてしまった。そんな事思ってもみなかったから。
僕はママに喜んでもらいたいと思ったんだ。悲しませようなんて思った事は一度だって無い。

「違うよ!僕は落としちゃったママへのお土産を取ろうとしたんだ!僕はママに泣いてなんて欲しくない!」

僕は反射的にそう叫んだ。
だって、だって泣いてるママの顔なんて見るのは絶対に嫌だったんだもん。

僕があんまり必死に叫んだせいか、もじゃもじゃのおじさんは目を丸くして一瞬黙った。
けれど次の瞬間にはそのまんまるの目を優しく細めて、僕の頭をくしゃくしゃとかきまわしながらこう言った。

「そうか、ママへの為にがんばったのか。偉かったな」
って。

僕は…
僕はそのおじさんの態度にとても変な気持ちになった。
そして喉の奥からよく馴染んだ塊みたいなものがこみ上げてきて苦しくなった。
この感じは転んだ時も、ストラップを落とした時も、ママが出て行って部屋の中でぼんやりしていた時にも感じた苦しさだ。
苦しくて、その塊がどんどん大きくなって、しまいには僕の頭全部を占領する位に膨れ上がって、僕の瞳から涙を押し出そうとした。
でもそれが許せなくて唇を噛みしめながら我慢した。
どんなに唇が痛くても泣くよりはましだった。一度それを自分に許したら僕は駄目になってしまう気がしたから。
ずっと、
ずっとずっとずっと、僕は一人で我慢する事ができた。

なのに。

おじさんがとても優しい声と暖かい手のひらでねぎらってくれた瞬間、僕の中の大きな塊が爆発した。
凄くかっこ悪いってわかってたのに、僕は大声で泣き出してしまった。

ママに会いたい。
ママにどうしても戻って来て欲しい。
今、ママに側に居て欲しいんだ。

でも泣いたって無駄だ。
そんな幼稚なことしてもどうにもならない。
どうにもならない事は諦めた方がいいって僕は昔からよく知っている。

無駄なのに、かっこ悪いだけなのに、全部ちゃんとわかってるのに、僕の中からあふれた涙は全然止まらなかった。

何度もしゃくりあげていると、今度は頭の中ではじけた塊が手足にできはじめた。
手と足の先が泡がはじけるみたいにしゅわしゅわと痺れてきて、それを振り払うように大きく息を吸った瞬間に僕は何もわからなくなった。